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2014年1月26日

読みもの

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我が人生のバイブルが届きましたので、
今月もその中から心に残った一言をご紹介したいと思います。
今回は"心に残った"というよりも、
これを読んで長い間疑問に思っていたことが、
ようやく"腑に落ちた"といったと表現の方が正しくらいで、
以下、原文のまま掲載させていただきます。


☆ゲシュタルトの祈り...
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

この詩は、ユダヤ人でドイツの精神医学者であり、
また、ゲシュタルト療法の創始者である
フレデリック・S・パールズ(1893〜1970年)が、
ゲシュタルト療法の理念を詩に表したものだと聞いています。

二十歳の頃、幼いなりに「自立」ということの意味に気付いた自分は、
三十代の入口でこの詩に出会って、
真の自立と自由を手に入れられたのかも知れません。
そして人と人の関係性について自分なりの方向性と価値観を手に入れました。

最後の「出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」という言葉の中に、
すべてをあるがままに受け止める」という、
ゲシュタルトの精神が集約されていると聞いたことがあります。
出会うとは単に物理的な出会いではなく「心と心の出会い」も含めているのだと思いますが、
出会わないことは「出会えないことに出会っている」ということなのかも知れません。

何十億人という地球上の人たちの中で一生涯に出会える人の数はたかが知れています。
だからこそ、この時間、この空間の中での出会いを大切にしなければならないし、
そのためには自分が自立していることが最も大切なのだと思います。

「今」、「ここで」、「すべてをあるがままに」受け入れること、
それが真の自立を手に入れる現点何だと思います。
この詩に出会い、二十歳の頃に漠然と感じていたことがストンッと心の中に落ちました。

私の自立の原点です。


「人は生きているのではなく生かされている」が我が人生訓で、
故にこの世で起きることのすべては,
人と人が起こすことだと解釈しています。
人と人のふれあいには、優しく暖かいものもあれば、
時に激しく、厳しく、軋轢にすら感じるものもあります。

残念ながらそれらを解決する答えは自分には見つけられず、
哲学やある種の悟りめいたものを学んで、
自己を確立してゆくしかないとさえ思っていましたが、

まさか「あるがまま」を受け入れることが「自立」に繋がるとは...
まだまだ未熟者ですべてが理解できたとは言えませんが、
色んなことが"腑に落ちた"気がします。